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2010年07月31日

麺を3回啜る日々からの脱却を図る

一人目

一人麺だ。

一人じゃないときもある。


麺が美味すぎるせいで、昨今麺に固執する日々が続いていた。

それを今日、断ち切った。

中毒は、なにもタバコやお酒ばかりではない。甘味ばかりでもない。

麺は、毒の真っ只中に誘う魔力がある。
ただただ塊を口に運び、咀嚼することが食事のど真ん中ではない。
咀嚼の前には、唇がある。咀嚼に伴なう筆頭に舌がある。
唇と歯と、喉と肺を総動員して麺を吸引する際の、ダイナミクス。
あれが中毒になる。

食事の全てがそれになる。


全てがそれになるのが中毒だ。

俺はそれになりそうになっていた。

それが変わった。

「それ」は便利だ。

頭のイイ人に助けてもらえるからだ。


とにかく、麺は、食事として圧倒的に美しい。
だが、それに固執することは前向きではないと感じている。
何回かに1度のカタルシスであって欲しい。
だから、俺はたまに麺を断ち切る。
長いことが魅力である麺を断ち切るというのだから、それは勇気がいることである。
しかし、思いもよらない瞬間にそれが実現するから、人間は自分で自分のことをわかりきれていないのだとも言える。

俺は豚肉とキャベツとニンニクでそれを断ち切った。
正確には、豚肉とキャベツとニンニクと第3のビールでそれを断ち切った。

肉は食いたい。
それは多くの人がそうであるように、私もそうである。
魚が勝つ割合が多いのは、仕方がない。肉を食いたいのは当たり前である。
でも考えてみて欲しい。

肉を食いたいとき、私たちは無意識のうちに、それに味が付いていると決定づける。
その味は、ニンニクのような風味と、醤油関連のそれが連想されていることが大概である。
ましてや、その味と、本物の肉が手を組んだのならば、断る理由はなにもない。

麺に打ち勝つものはこの世で2つ。
上の風味のする獣か、醤油と山葵を施した生きたまま殺され切り裂かれた魚である。

私は前者によって麺を断ち切るという、まるで盾と矛のような奇跡を成し遂げたのである。

馬鹿げてなんていない。
このような葛藤をしていないで毎日ヘラヘラ笑って生きている人間がいるならば教えて欲しい。
俺は毎日毎日芋類をいただいて筋骨隆々を保つ人々には遠く及ばない。
獣由来の現代社会を生きている。
posted by hito at 00:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2010年07月30日

上空24時

一人目

今日の朝、東京は肌寒いくらいの曇り空であり、7時を回る頃にはシトシトと雨も降った。
海岸では、風も強く、久しぶりに屋外で寒い思いをした。

ところが、南中が近づくに連れ、雲は何処かへ行き、日が差し始め、昼飯は汗をだらだら流しながらいただいた。

止まない雨はないと言うが、こうもあっさり覆されるものか。


本日、東京に生きた人間で、朝は寒かったなのになあということを思ったり、切実な問題としてそれ体験した人間は何割くらいなのだろうか。

上空では、私の知らないところで、毎日毎日激しい変遷が巻き起こっているようだ。


自分に雨が当たらなければ、その日の天気は雨ではない。
太ももから汗が吹き出さなければ、夏は爽やかだ。


雨に打たれ、日に晒された俺は、今日、雨のち晴れだった。
posted by hito at 22:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2010年07月27日

絶忙期に突入した。

一人目

絶対的に繁忙期だ。

こんな時期に掻い潜って引っ越ししようなどと企んでいたことが穴に入りたい気持ちに繋がるくらい、絶望的絶忙さだ。

しかし、最中にいる間は、ふとしたときに気持ち悪い充実感が襲ってくるから腹立たしい。

これを乗り切れば、何かが突き抜ける!
ぐらいの気持ちになるが、それは嘘である。去年知った。
posted by hito at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする