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2011年09月28日

忘れないこと

一人目

東の方に風邪をひいた女がおりました。

どうにも体が動かないのでずっと寝ておりました。
女は普段は身体の左側を下にして寝ているのですが、風邪をひいたときは仰向けで寝るようにしていました。
仰向けで寝ながら少し目線を左にずらして、部屋の壁にかかっている時計を眺めていたのですが、秒針と長針が重なる瞬間が見たくてたまらなくなり、毎周毎周その機を伺い注意を向けておりました。
綺麗に重なると気持ち良く、微妙にズレると気持ち悪い。繰り返し繰り返しやっていると、だんだん気持ち悪くなり、飽きました。
今度は、秒針が10の0の右上に重なる瞬間が気になりだしたので、その機を伺いながらガサガサいう喉と鼻の奥に溜まる鼻水への嫌悪感を紛らわして静かに息をし続けました。
秒針が円の接線みたいになるので、これっていつ習ったんだっけと思いながら、でも全然思い出せないのでまた気持ち悪くなり、しばらく考えるのをやめました。
時計の数字をずっと眺めていると、ゲシュタルト崩壊が訪れます。
3がおかしくて仕方が無いです。6に腹が立ち、7に哀れみます。
短針が動く瞬間を見ようと頑張っても、なかなか捕らえられないものです。
音楽でも聴こうかと、CDをリピート再生しましたが、意識が朦朧としてあまり頭に入ってこず、何周回っても5曲目だけが妙に印象に残り、
4曲目が聴きたいのに気づけばいつも5曲目に進んでいることが悲しくなります。
かといって、そこで曲を戻すのはしゃくにさわるので頑張ってそのまま再生していても、次の周にはやっぱり4曲目を聴き逃すのです。
一昨日、新聞に出てきた読めない漢字を調べようと思っても、その漢字がなんだったか思い出せないので諦めます。

ふと意識が飛び、夢を見ました。
中学時代と高校時代がごっちゃになったクラスで文化祭の準備をしている夢を見ました。
みんな意味のわからないことを宣っており、もうやってられないわと思い、学校を出ると、急に今の職場に着いて、後輩に出店の相談をされました。

目が覚めると、右手で左肘を掴んでおり、左手は右頬を撫でています。
生まれて初めて、寝たまま足がつりました。
息が苦しいので、自分が息をしていることを強く意識しました。
喉がだんだん痛くなると、喉が痛くない時のことを思い出します。

やっぱり5曲目が流れており、時間はそんなに進んでおりません。

2日間、仰向けでたまに時計を眺めて、CDはときどき入れ替えて、夢は見ず、飯を食い薬を呑んで過ごし、風邪が治りました。

2日後、女は風邪を忘れました。







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2011年09月23日

いわして千年

一人目

イワシはいつも集団で泳いでいる。
そこを鯨に食われたりする。あさっり飲み込まれる。
それでも彼らはアホみたいにたくさんいる。

イワシ集団で泳いでいるが、隣のイワシにぶつからずにいながら、みんな同じ方向に向かっていく。
一体どういう神経をしているのだろうか。
答えはシンプルだそうだ。
「隣の個体と一定の距離を保つ」
「隣の個体の動きをマネする」
これだけであの大集団が出来上がる。らしい。
厳密には違うかもしれないが、だいたいそう。らしい。

きっと彼らは、集団でいるときに誰かに襲われて、隣のやつが食われても悲しまないだろう。
自分が食われても無念に思わないだろう。
彼らは「我思う」ではないに違いない。

百獣の王、ライオンの雄は、ある程度成長すると群れを離れ独りで暮らし、期が熟すと群れを襲い、支配し始める。
支配が始まると、その群れに既にいる子どもを全員殺し、群れの子どもは全部自分の子ども状態にする。
子孫繁栄が目標ではないのか。種ではなく、自分の子どもだけなのか。
イワシは、そんなこと夢にも思わないだろう。

イワシは鰯と書く。
「よわし」が「いわし」になったという説もある。
泳いでいれば誰かにあっという間に食われ、水揚げされればすぐ腐る。
しかし、彼らはいつも大量にいる。世界のどこかにかならず溢れるほどいる。
弱くても、腐っても、ひっきりなしにぼこぼこ新しいやつが生まれてくる。

百獣の王、ライオンは煩悩の塊だ。
イワシは無我の境地で生きているに違いない。
posted by hito at 11:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2011年09月21日

ごっこじゃねえ、本気なんだ。

一人目

もはや「ごっこ」レベルではなくなってしまった一般人のプリント水準。
近年、パソコンやカラープリンターの台頭により、あっという間に地図は塗り替えられてしまったが、まやかし、にわか、なんちゃっての増加は負の遺産である。
すごくなったのはあくまでもコンピューターであり、人間の表現力ではない。

こども時代、年賀状を作成するとき、サンプル本の素材を使用せず、漫画本からキャラクターを引用し文字を組み合わせるなどというという無謀な挑戦を何度も試み、失敗し続けた。
あの電球が怪しく光り、異臭を放つ度、私はその無残な「焼き具合」に落胆した。
コピー用紙はうまくいかない、という現実から目を背け、無闇闇雲に焼きまくり、インクははみ出し続けた。

シンプルな絵と、シンプルなデザイン。
成功の秘訣はこの2つであったように思う。私自身、成功したことはないけれど。

そのシンプルさを駆使し親が刷ったであろう家族の名前入り年賀に、鉛筆でひとこと加えただけのアレが友人から届く度、自分の徒労を嘆いたものだ。
擦り過ぎにより、絵と字のインクの境界線が曖昧になり、混ざって滲んでいるやつなんかが送られてきた日には、震えた鉛筆文字の哀愁と相まって、怒りを通り越して同情した。
そんな年賀状を見て私は、自分がそれと同じ過ちを犯しそうになっていたことに気づき、愕然とし、全手書きで年賀状を仕上げた。
毎年、毎年、その繰り返しである。

結局、私にはプリントゴッコの成功体験はない。
昨今の技術の進歩、にわかデザイナー進出に関して反論する資格もない。
しかし、忘れてはいけない。綺麗な絵と、綺麗な文字を使いながら、あの「鉛筆一筆年賀」まがいのいい加減な仕事をしているやつが今でもその辺にごろごろと潜んでいる。






posted by hito at 07:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする